ナレンドラ ダモダルダス モディ नरेन्द्र दामोदरदास मोदी Narendra Damodardas Modi 太陽系は約46億年前、銀河系(天の川銀河)の中心から約26,000光年離れた、オリオン腕の中に位置。 18代インド首相 前グジャラート州首相
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習近平香港演説の「ゆとり」の裏に「人民元で決済する露印」や「中国に回帰する欧州経済」

習近平が香港を訪問し中国返還25周年記念講演をした。話し方がゆったりしていて奇妙に「ゆとり」があった。背後で露印などが人民元で交易する現象が起きているからなのか、それとも民主を抹殺し終えた自信なのか。
◆「5年ごとに行われている本土国家主席による演説」と「一国二制度の定義」
7月1日、香港の中国返還25周年記念で講演をした。
香港の返還「5周年記念」から始まって、基本的に「10周年記念」、「15周年記念」と、5年区切りで中国(本土)の国家主席が香港を訪問し、演説をしている。習近平自身も2017年の「20周年記念」に香港を訪問して演説をしているので、その5年後の「25周年記念」である今年2022年に香港を訪問したのは、非常に正常なことで、異例でも何でもない。
これを「(三期目の)続投にはずみをつける狙いがある」などと解説する日本の大手メディアがあるが、中国の基本を知らな過ぎて、日本国民をミスリードする。
もし「5年ごとの記念行事」に対して「~の狙いが」があるとすれば、過去の「5周年記念演説」や「10周年記念演説」・・・は、何を「狙って」香港を訪問し演説をしたと説明するのだろうか。整合性がなくなる。そういう「こじつけ」解説はしない方がいい。
日本の大手メディアは、「一国二制度」に関しても「形骸化している」と解説していたが、「一国二制度」の「二制度」とは、「社会主義制度と資本主義制度」の二つの制度のことを指しているので、形骸化していない。なぜなら「香港(やマカオ)は、まちがいなく資本主義制度」を貫いているからだ。中国本土は「社会主義制度」だが、こちらは「特色ある社会主義制度」で、強いて言うなら「国家資本主義」とも言えなくはないので、逆に中国本土での制度が「いびつな社会主義制度」になっているくらいで、「香港の資本主義制度」はまったく変化していない。
そのため習近平は演説で「一国二制度」を高く評価し、わざわざ「香港やマカオの資本主義制度は守られており、中国本土の特色ある社会主義制度も守られている」と言ってのけた。こういう「相手に付け入るスキを与えるような解説」を日本のメディアはしてはいけない。
イギリスのジョンソン首相が言った「中国は義務を守っていない」という趣旨の言葉に対して、わざわざ「中国は(一国二制度の)義務を守っていない」と「一国二制度」を(ジョンソンは言ってないのに)番組側の都合で字幕に加筆するほど、日本は「深く」間違っているのだ。
義務を守ってないのは「基本法」であり、香港の自治を謳っているのは「一国二制度」ではなく、「基本法」の方である。
だから習近平は「香港は普通法(コモンロー)と基本法と国安法を守り…」、という具合に、「基本法を守ってないのに」、多くの西側諸国がその事に気が付かないことを良いことに「基本法を守っている」と、堂々と断言することを許してしまっている(このことに関して正確に表現しているのはイギリスだけだ)。
この基礎が分かってないので、習近平が「事実違反」のことを言っても誰も気が付かず、肝心のところをスルーしてしまうのだ。「攻めどころ」を間違えているため、中国本土の論理が「勝っていってしまう」ことに留意すべきだろう。
特に習近平は「一国二制度」のうち、「一国」が大事で、「二制度の前に一国という文字があることを重要視しなければならない」という趣旨のことを言っている。つまり香港のフルネームは
中華人民共和国香港特別行政区
であり、「中華人民共和国」という「国家」の名前があることを忘れてはならない。そんなことにイギリス側は香港返還交渉のときに賛同してしまっているのだ。この事実は重い。
◆演説の奇妙な「ゆとり」の陰で進む「人民元による露印の決済」
今般の習近平の演説には奇妙に「ゆとり」があった。
口調が穏やかで、ゆっくり一言一言を丁寧に発音しながら話した。
特に今般、香港特別行政区の行政長官に就任した李家超は、香港語を日常会話として使ってきたからだろうか、中国語の普通語(標準語)の発音が少しおかしい。たとえば「市」に相当する [shi] という発音を標準語の発音で発音できず、日本語で「シー」に近い音で発音していた。宣誓の言葉で発音が気になっていたことも手伝い、きれいな標準語で、まるで小学生でもしっかり聞き取れるような発音でゆっくり演説した習近平の違いが、奇妙に印象的だった。ちなみに、その話しっぷりはこちらで確認することができる。
その「ゆとり」がどこから来ているのか、さまざま考察してみたが、一つには「インドとロシアが石炭などを取引するときに、実は人民元を使っていた」という事実が明らかになっていたことが6月29日のロイター報道(ニューデリー、ロイター電)でわかったことが挙げられる。
これまで、ウクライナ戦争によってロシアがアメリカを中心とした西側諸国から金融制裁を受けると、インドはルピーを使い、ロシアはルーブルを使うという具合に、互いに自国通貨で取引しようとしていると言われてきた。中国とロシアは人民元で決済している。これらのことは拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』でも詳述した。
ところが今般のロイター報道によれば、「アメリカの激しい対露金融制裁により、インドもまたロシアとの貿易決済で人民元を使用した証拠が見つかった」とのこと。
これは大変なことだ。
中国以外の国同士の交易において人民元決済が始まるということは、非西側諸国(BRICS陣営)の国同士における決済で人民元を使う傾向が強まる可能性があり、結果、人民元の国際化が進んでいくことになる。
すでにエマニュエル・トッドやミアシャイマーを挙げるまでもなく、世界の多くの知者が指摘しているように、バイデン大統領は、プーチン政権を倒すためにロシアに罠を仕掛けてきた。エネルギー資源をロシアに頼るヨーロッパのエネルギー源依頼先をアメリカに切り替えさせ、アメリカの軍事産業が繁栄を極めるために、プーチンにウクライナ侵略をするという愚かな道を選ばせたのだ。
本来なら、アメリカの敵はロシアではなく、中国であるはずだ。
しかし戦争ビジネスに狂奔するバイデン大統領にとって、NATOを強化するには「ロシアという強烈な共通の敵」がいなくてはならない。
ウクライナはまた、ロシアからヨーロッパに向かう天然ガスなどのパイプラインの拠点だ。ここをアメリカのコントロール下に置けば、ヨーロッパはロシアから天然ガスなどを輸入することができなくなり、アメリカを頼るしかなくなる。そのためにロシアによるウクライナ侵略はバイデン大統領に計り知れないメリットをもたらす。
しかし、バイデンが副大統領だった2009年から練り上げてきた戦略だった今般のこの選択は、果たして本当にアメリカに利するのだろうか?
◆ウクライナ戦争により中国に回帰する欧州
中国人民政府のウェブサイトによれば<2022年1—5月の中国の実行ベース外資導入額が前年同期比で17.3%増加している>とのこと。
韓国からの投資が52.8%増で、アメリカからの投資は27.1%増、そしてドイツからの投資が21.4%増えている。肝心のアメリカさえ、ウクライナ戦争後、実は対中投資が増えているのは皮肉なことだが。
また香港ロイター電によれば、<中国株へマネー回帰、世界的な逆風からの「避難先」>に、中国がなっているとのこと。
一方、ウォールストリート・ジャーナルはまた、<ロシアの天然ガス供給の減少は、世界最大の化学基地を脅かしている>という見出しで、世界最大のドイツの化学製品製造企業BASFが、対露制裁により生産基地を中国に移すしかないところに追い込まれていることを論じている。
さらに7月1日の中国の報道によれば、中国は合計300機ほどのエアバス購入の契約を結んだとのことである。
エアバスはフランスを中心としてドイツなどEU加盟国により製造されている航空機だ。それらを約300機(合計372.57億ドルで約五兆円相当)も一気に買い上げるのだから、欧州にとって中国はやはり「良いお客様」であることに変わりはない。
拙著『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略』の帯に「笑う習近平」と書いたが、ウクライナ戦争で最後に笑うのは習近平かもしれないのである。
その自信が、演説にあの奇妙な「ゆとり」を与えたのだろうか?
◆民主を抹殺した後に残ったものは?
いや、もしかしたらあの「ゆとり」は、中国語にあまり慣れてない香港の若者への配慮だったのかもしれない。
ゆっくりゆっくり、小学生にも聞き取れるような中国語で、香港の若者に言って聞かせたという可能性もある。習近平は演説の中でしきりに「香港の若者こそが大事だ」ということを繰り返していた。若者が本土で働いてもらうための仕組みも作ってあると説明していた。香港の若者による抗議デモの再燃が怖いのだろう。
これまでなら、5年ごとに本土の国家主席が香港を訪れて演説するたびに若者たちによる抗議デモが繰り広げられていた。
それが今年は、デモ隊の姿など一人たりともいない。
民主が抹殺された後の、抗議をする若者の姿がない、きれいに整理された道路は、ふと反射的に、「チャーズの跡」を思い起こさせた。
6月30日のコラム<「チャーズ」の跡はどうなっているか? 抹殺された長春のジェノサイド>をご覧いただきたい。
そこには『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』のp.151に書いた「死体の山」の現在の姿の写真がある。以下に示す写真だ。

「死体の山」があった場所で死者を弔う紙の紙幣を焼いた情景を、筆者を取材した杜斌氏が2015年に撮影したものだ。
地面に敷き詰められた餓死体の姿も、積み上げられた死体の山も、今はもうなく、そのような事実があったことさえ、完全に抹殺されている。
このきれいに舗装された写真を見た時に覚えた絶望と恐怖。
しばらく震えが止まらなかった。
中国共産党は、こうして「民の叫び」、「虐殺された民の命」を抹消して、明日へと進んでいく。
屍(しかばね)の上に築かれた繁栄。
それは戦争ビジネスの上に築かれているアメリカの繁栄とあまり変わらない。
デモ隊のいない香港の街は、きれいに舗装された「チャーズの跡」と同じだ。
この不条理をどこにぶつければいいのか。静かできれいに整頓された香港の街に、背筋が寒くなるのを覚えた。
「チャーズ」の跡はどうなっているか? 抹殺された長春のジェノサイド

2000年頃まで長春の「チャーズ」の跡は餓死体が多いため土地開発ができず放置されていたが、2000年に入ると地下を掘ることが可能になり、習近平政権になってから「完全抹殺」が加速した。
◆半世紀後も包囲網の鉄条網がそのまま朽ちて放棄
6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に書いたように、当時国民党が支配していた長春市は、1947年晩秋から共産党軍によって包囲され、食糧封鎖を受けた。長春市が丸ごと鉄条網で囲まれたのだが、その鉄条網が約半世紀たってもなお、そのまま放置されているのを発見した。
大学で仕事をするようになってから、何度も中国には戻っているが、長春に戻る勇気だけはなかった。しかし1994年、意を決して、ちょうど1948年にチャーズに入った日に長春に行き、チャーズの跡を見に行った。
そこには、あまりに衝撃的な光景が広がっていた。
私たちを餓死させたあの鉄条網の一部が、朽ち果てた柵の棒とともに放置されたままになっていたのだ。
下に示すのが、その一部である。

そんなものが残っているはずがないだろうと思われるかもしれない。
しかし、まちがいなく「チャーズ」がそこにあったという証拠写真はまだある。
これらは全て、1994年9月20日に筆者が撮影したもので、世界に一枚しかない証拠写真だ。文末に書くように、今は開発されて、証拠は全て抹殺されている。
◆包囲網の内外を明確に区別
1948年に筆者がチャーズに入った時に、共産党軍側の解放区とチャーズを区切る鉄条網があった場所には、なんと「白いフェンス」が設置されていた。
あの時と同じように、鉄条網の代わりに「白いフェンス」を境として、フェンスの外側は繁華街になっており、道路も舗装されている。そこでは車も勢いよく行きかい、小綺麗なホテルまでがある。
しかし、その内側、チャーズだった場所は、まるでゴミ捨て場のようになっていた。その写真を以下に示す。

あのとき、難民が唯一の飲み水を得た井戸は小さく塞がれてコンクリートの蓋がしてあるものの、そのまま残っていた。その中には死体が浮いていた、あの井戸だ。
◆共産党軍側のチャーズの門の跡にはポリスボックスが
おまけに、なんと、共産党軍側のチャーズの柵門があった場所には、ポリスボックスが設置されているではないか。

チャーズの柵門は、言うならば検閲所だ。関所のようなものである。
その「検閲」と類似の役割をする警察の、ポリスボックスが同じ役割の柵門の場所に設置してあるというのは、どういうことなのか。
半世紀経っても役割を変えずに残っている。
この大地の時間の流れ方は何なのだ。
チャーズの内側の地面の下には無数の餓死体が埋まっているから、そこを掘り起こして工事をすることができないのは分かるが、あのときの包囲網の役割をそのまま残しているというのが中国の時間の動き方だ。
それにしても、チャーズが間違いなく、そこにあったのだということを証明する写真ではないか。
◆餓死体の山があった場所は人間の大小便にまみれていた
最も衝撃的だったのは、拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』のp.151で書いた「死体の山」があった場所の跡だった。
なんと、そこは人間の糞尿にまみれていたのだ。
野ざらしのトイレのようにして使われていたのである。誰も見たくないだろうから、最も「鮮明ではない写真」をあえて掲載する。

筆者はそこで人間の大人が用を足す姿も見ている。その場面を撮影したら殺されるかもしれないという、「闇の世界」がそこには漂っていた。
どういうことなのだ?
なぜ、なぜ餓死体を隠ぺいするだけでなく、それをゴミのように扱わなければならないのか。
その上で用を足すというのは・・・。
何が彼らをそのような行動に向かわせたのか?
まるで「汚れたもの」、「忌まわしいもの」を忌諱(きき)するかのように「闇に葬ろうとする大地の法則」に、気を失いそうになった。
犠牲者を弔うためにも、写真に残さなければならないと自分に言い聞かせ、誰もいない瞬間を捉えて、シャッターを切った。
この写真の右手の方に寛平大橋があり、その大橋の下を鉄道が走っていた。
◆高速道路を眺める「死体の山」の跡で
6月28日のコラム<もう一つのジェノサイド「チャーズ」の真相を書いた中国人は次々と逮捕される>に書いた杜斌氏が筆者を取材し始めたのは2014年のことだが、筆者の回答の証拠をさらに固めるために「今から長春に行く」と告げたのは2015年夏のことだった。
そこで彼は長春で、親戚がここで死んだんだとして死者を弔う「紙の紙幣」を燃やしている人に出くわした。寛平大橋を巨大化して建築した高速道路の下側だ。紙を燃やしていると当局が来て「環境を汚染するから」という、もっともらしい理由を付けて「死者を弔うことを禁止した」という。

これこそが拙著『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』のp.151に書いた「死体の山」があった場所である。そして前掲の「野ざらしのトイレ」となっていた場所なのである。
長春全体は、1994年には開発が進んでいたが、チャーズの跡だけは手をつけることもなく半世紀が過ぎていたが、2005年頃からチャーズ付近の鉄道や高速道路の建設が計画され始め、2013年、習近平政権になってから一気に本格化した。
見た目にも「チャーズ」の痕跡は抹殺されたが、概念的にも抹殺すべく、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に書いたように、長春市政府の役人だった人が2013年から『囲困長春』を書く構想を練り始めている。
中国における出版計画は最終的には中共中央の許可がない限り進まないので、中共中央総書記の習近平が「中国には人権問題はない」として書かせたものと判断することができる。
中共中央のお墨付きの本が出版されると、中国共産党機関紙「人民日報」姉妹版の「環球時報」電子版が「長春包囲の真相」として『囲困長春』を紹介し、これからの若者に永遠にこの歴史を胸に刻むよう願うとして、この「塗り替えられた歴史」を讃えている。
この高架橋の写真を見たときに、震えが止まらなかった。
私の原点、私の人生の闘いの全てを抹殺する巨大な力が働いている。
それを私はペン一本で覆そうとしているのだ。
それを可能にしてくれるのは、「読者の力」である。
ペンが強いのは「読者がいるから」だ。
すべての読者に、「この抹殺されようとしているジェノサイド」を残すために力を与えてほしいと祈るのみだ。
ペンの力は、ひとえに「読者」にかかっている。
もう一つのジェノサイド「チャーズ」の真相を書いた中国人は次々と逮捕される

長春の惨劇「チャーズ」を書いた中国人は次々に逮捕されている。筆者の場合は、北京の日本国大使館の役人により中国政府に密告された。習近平政権になると中国政府のシンクタンクから筆者に突然警告メールが来た。
◆最初に逮捕されたのは『雪白血紅』の著者
最初に逮捕されたのは1989年8月に『雪白血紅』というタイトルで長春の食糧封鎖を書いた張正隆氏(1947年生まれ)だ。中国人民解放軍文芸部の人間で、当時の瀋陽軍区文化部創作室にいた作家だった。
したがって軍隊に関する描写が多いが、東北の人間だけあって表現がストレートだ。
中国には「易子而食」という言葉がある。春秋戦国時代に食糧封鎖に遭った宋の国が「子供を交換して(交易して)、それを食した」ということから生まれてきた言葉だ(公羊傳・宣公十五年)(紀元前594年頃)。餓えて子供を殺して食べるしかなくなったが、さすがに我が子を手に掛けるのは忍びないので、他の家の子と交換して食べ合ったという記録が残っている。
筆者自身が食糧封鎖下の長春にいて、多くのことを耳にしているが、さすがに文字にできなかったことが、まるで普通のことのようにストレートに、『雪白血紅』には書いてある。その意味で中国人の感覚は日本人と違うところがあると思う。
実は『雪白血紅』が出版されると香港に出張していた日本の新聞社の友人から連絡があった。「大変ですよ!遠藤先生が書いたチャーズと同じことが書いてある本が中国語で出たんです!やっぱり、本当にあったことなんですねぇ・・・」と知らせてくれて、「ともかく送ります」と言って送ってきてくれたことがある。
それからほどなく作者の張正隆は逮捕され、『雪白血紅』は江沢民によって発禁となった。
これが「チャーズ」を書いた人間で逮捕された第一号だ。
◆中国政府に筆者を密告したわが日本国大使館の役人!
1990年代に入ると、筆者は日本の文部省(現在の文部科学省)の科研代表として帰国した中国人元留学生の留学効果に関する調査をする作業に入ろうとしていた。日本留学と欧米留学の留学効果に関する比較をして、日本の留学生受け入れの政策の改善に資することを目的とした研究課題だった。日本国のために役に立つ調査のはずだ。
但し、中国で調査をするには中国政府の関連機関の許可が出ないと実行できない。
このことで悪戦苦闘していた時のことだ。
どうしてもうまくいかなくて、そのとき泊まっていた北京の民族飯店というホテルの7階から、いっそのこと飛び降り自殺をしようかという衝動に駆られるほど苦しかった。なぜなら文部省の科研代表として、すでに文部省の科研費は下りている。何としても年内に研究成果を出さなければならない。それなのに中国政府の調査許可が下りないという板挟みで責任があり、退路のないところに立たされていたからだ。
その時に、私が何年か前に世話をしてあげていた中国人留学生で中国政府で仕事をしていた人が私に教えてくれた。
「先生、これは大きな声では言えない話ですが、北京にある日本大使館の役人が、先生の悪口を中国政府側に言っているんです」
「えっ!私の悪口を?」
「はい、そうです!先生はチャーズの本を書いてるじゃないですか。チャーズに関しては張正隆が『雪白血紅』を書いて逮捕されたばっかりですよね。だから、遠藤先生も同じチャーズの本を書いている危険人物なので、彼女に協力しない方がいいって、日本大使館の役人が中国政府に密告しているんですよ」
「え――!そんな・・・!日本大使館は中国にいる日本人を守るためにあるはずなのに、彼らが日本人を中国に売るって・・・」
気を失いそうだった。
しかし、教え子は続けた。
「先生、中国には長いこと密告制度があったから、今も密告すると『自分たちの味方だ』っていう感じで、特別に大事にしてくれるんですよ。日本政府の人は、みんな中国政府に気に入ってもらおうとして、中国政府の役人におべっかを使うんです。先生は中国で生まれて中国語がペラペラだから、日本大使館は遠藤先生の方が中国政府に気に入られたら自分たちが損をするので、先生が嫌われるように密告をしてるんです」
何ということだ・・・。
どうもおかしいと思った。
その噂はやがて、かつて筆者が命を助けてあげたことがある元留学生の耳に届いたらしく、彼から連絡があった。彼の恩師は中国社会科学院の哲学研究所の所長をしていて、中国社会科学院は中国国内で調査をするときの許可権を持っているという。早速その所長に会って紹介してもらったのが中国社会科学院社会学研究所だった。
こうして筆者はその社会学研究所の客員研究員・客員教授として中国や欧米における調査を、やっと完遂することができたのである。
天安門事件後の中国への経済封鎖を率先して解除した日本政府への怒りの原因の一つは、こういった日本政府の態度にもある。
◆筆者を取材して「チャーズ」を書いた杜斌も逮捕された
2014年に筆者の『卡子 出口なき大地』(1984年出版)の中国語版が台湾で出版されると、多くの中国大陸の民主活動家から問い合わせがあった。その中の一人に杜斌(ドゥ・ビン)という民主活動家がいる。彼は長い時間をかけて、2017年に台湾で『長春餓死(者の死体)戦 中国国共内戦の最も惨烈な包囲戦 1947.11.4 ~ 1948.10.19 』という本を台湾で出版している。
中国語のタイトルは日本語表記しにくい文字もあるので、日本語に訳したが、以下に示したのが、その本だ。

本の中には筆者が5歳の時に長春で写した写真があり、中国語で説明が付いている。まちがいなく筆者を取材して書いた本だということがわかる。
この写真は7月3日に出版される『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の最初のページにもある。

ただ杜斌氏とは音信が途絶えてしまい、実は本が出版されたという知らせもなかった。その後、ニューヨークタイムズから取材を受け、その取材の中で、杜斌氏が逮捕されたということを知った。本は、これもつい最近、偶然のことから、すでに出版されていることをネットで知ったような状況だ。
習近平政権になってから、それまで何十年にもわたって連絡し合ってきたすべての民主活動家たちとのメール交換ルートは完全に遮断されてしまったので、いま杜斌氏がどうしているのかを正確に知るすべはない。
◆突然届いた中国社会科学院からの一通のメール
あれは2017年になってからだっただろうか。
突然見知らぬ人から一通のメールが飛び込んできた。
見れば「中国社会科学院」のアドレスだが、誰なのかは分からない。
そこには「あなたは、確かに以前は、中国社会科学院社会学研究所の客員教授兼客員研究員だったが、今は違うので、その肩書を使うことを許可しない」という趣旨のことが事務的に書いてあった。
その職位をいま使っているはずがなく、過去にその職位にあったことは確かなので、逆にこのメールはそのことを証明してくれているようなものだと思ったが、どうやらこの時期は、杜斌がチャーズに関する本を出し、その本の中に遠藤誉を取材したということが書いてあるので、そのことと無関係ではないのかもしれない。彼のパソコンも没収されたとすれば、私が彼とやり取りした多くのメールも当局の手に渡ったものと覚悟するしかない。
もう一つの可能性として考えられるのは、6月27日のコラム<許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」>に書いた中国政府側による『囲困長春』の本が、実は2016年12月に書き上げられていながら、出版が2017年12月となっているので、ゲラの修正に1年もかけたことになり、さまざまなレベルの検閲を受けたことが推測される。
当然筆者が書いた『チャーズ』の中国語版をチェックしているはずなので、そういうこともあり、筆者の所に、突然、中国社会科学院から警告メールが入った可能性もある。
いずれにせよ筆者には、中国に行ったら逮捕される危険性が十分あることだけは確かだ。
もちろん二度と行かないが、しかし「遠藤誉が中国の土地を踏んだぞ」という知らせは、案外に日本大使館から中国政府に行く可能性もあり、それを考えると、我が祖国ながら、何とも哀しい。
いつ、どのようなことが起きるか分からないので、遺言のようなつもりで『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』をこの世に遺すことにした。生き証人はもうほとんど残っていない。
許せない習近平の歴史改ざん_もう一つのジェノサイド「チャーズ」

1947‐48年、長春市は中国共産党軍に食糧包囲され数十万の一般市民が餓死した。二重の包囲網「チャーズ」の柵門を開けなかったのは中共軍だ。それを国民党のせいにした本が中国で出版された。生き証人として許せない。
◆食糧封鎖は2回目の日本人帰国直後から開始された
1946年夏、終戦後に中国に遺された日本人約百万人の日本帰国があった。これを「百万人遣送」と称する。このとき中国吉林省長春市にいた私の一家は、父が技術者であったために帰国を許されなかった。終戦後長春市はソ連軍の軍政下で現地即製の国民党軍が管轄していたが、1946年4月に共産党軍が攻撃してきて市街戦で共産党軍が勝ち、長春市は一時期共産党の施政下にあった。
しかし毛沢東の命令により共産党軍が5月に北に消えると、入れ替わりに国民党の正規軍が入場してきて、第一回の日本人遣送が始まったわけだ。
1947年になると、国民党政府に最低限必要な日本人技術者を残して、他の日本人は強制的に日本に帰国させられた。
最後の帰国日本人が長春からいなくなった1947年晩秋、長春の街から一斉に電気が消えガスが止まり、水道の水も出なくなった。
共産党軍による食糧封鎖が始まったのだ。
長春は都会化された街なので畑がない。食糧はみな近郊から仕入れていた。
餓死者が出るのに時間はかからなかった。早い冬が訪れると凍死する人も増えた。当時は零下36度まで下がる長春で、暖房なしで生きていくことは不可能だった。
行き倒れの餓死者や父母を失って街路に這い出した幼児を犬が食べ、その犬を人間が殺して食べる。しまいには、中国人だけが住んでいた(満州国新京市時代に)「シナ街」と呼ばれていた区域では「人肉市場」が立ったという噂がされるようになった。
◆餓死体が敷き詰められた「チャーズ」
私の家からも何人も餓死者が出て、このまま長春に残れば全員が餓死すると判断された1948年9月20日、私たち一家は長春を脱出することになった。その前日、一番下の弟が餓死した。
20日朝早く包囲網にある唯一の出口があるというチャーズに向かった。
全員栄養失調で、皮膚が老人のように皺だらけになり、立ち上がるだけでも苦しかったが、夕方にはチャーズの門に着いた。この門をくぐれば、その外には解放区(中国人民解放軍が管轄している区域)があり、解放区には食糧があると思ったところ、包囲網は二重になっており、国民党軍が管轄する長春市を鉄条網で包囲しているだけでなく、その外側にも鉄条網があり、外側の鉄条網が解放区と接しているのだった。
「チャーズ」はこの二重の鉄条網の間にある真空地帯だ。
国民党側のチャーズの門をくぐって国民党軍に指示され、しばらく歩くと、餓死体が地面に転がっていた。餓死体はお腹の部分だけが膨らんで緑色に腐乱し、中には腐乱した場所が割れて、中から腸が流れ出しているのもある。銀バエが、辺りが見えないほどにたかり、私たち難民が通るとパーッと舞い上がった。
共産党軍側のチャーズの鉄条網の柵近くに辿り着いた時は、暗くなっていた。
ここに座れと指図したのは、日本語ができる朝鮮人の共産党軍兵士だ。
私たちは一般に共産党軍を「八路(はちろ)軍」と呼んでいたので、その言い方をすれば「朝鮮人八路」だ。
脱出の時に持って出たわずかな布団を敷いて地面で寝た。
生まれて初めての野宿だった。
◆共産党軍側の門は閉ざされたまま
翌朝目を覚まして驚いた。
私たちは餓死体の上で野宿させられたのである。
見れば解放区側(共産党軍側)にある鉄条網で囲まれた包囲網には大きな柵門があり、八路軍の歩哨が立っているが、その門は閉ざされたままだ。
一縷(いちる)の望みを抱いて国民党側の門をくぐった難民はみな、この中間地帯に閉じ込められてしまったのである。ナチスのガス室送りと同じことだ。
水は一つの井戸があるだけで、その井戸には難民が群がり、井戸の中には死体が浮かんでいる。
食べる物などあろうはずもなく、新しい難民がチャーズの中に入ってくると、横になって体力の消耗を防いでいた難民が一斉に「ウオー!」っと唸り声を上げながら立ち上がり、新入りの難民めがけて襲い掛かる。
このとき日本人はもうほとんど長春にはいなかったので、チャーズの中にいるのは中国人の一般庶民だ。死んだばかりの餓死体をズルズルと引き寄せて輪を作り、背中で中が見えないようにして、いくつもの煙が輪の中心から立ち昇った。
私もいつかは食べられてしまう。
その恐怖におののきながら、地面に溜まってる水をすくい上げ、父が持参していたマッチで火を起こして「水」を飲んだ。
用を足す場所もない。死体の少なそうな場所を見つけて用を足すと、小水で流された土の下から、餓死体の顔が浮かび上がった。見開いた目に土がぎっしり詰まっている。この罪悪感と衝撃から、私は正常な精神を失いかけていた。
崩れかけた低い石垣に手をかけ体を支えながら立ち上がると、その下では、鉄砲に撃たれて流れている母親の血を母乳と勘違いしてペロペロなめている乳児がいた。
恐怖に引きつりながら父にしがみついて餓死体の上に敷かれた布団で眠りに入ろうとすると、地を這うような呻き声で目が覚めた。
父が救われる御霊(みたま)の声だと言って立ち上がった時、父のもとを離れたら死ぬという思いから父のあとをついていった。
すると、そこには死体の山があったのである。
父がお祈りの言葉を捧げると、死んでいるはずの死体の手先が動いた。
その瞬間、私をこの世につないでいた最後の糸が切れ、私は廃人のようになっていた。
◆遺族は技術者ではないとして出門を許さなかった八路軍
4日目の朝、私たちはようやくチャーズの門を出ることが許された。
父が麻薬中毒患者を治療する薬を発明した特許証を持っていたからだ。
解放区は技術者を必要としていた。
このとき父には父の工場で働いていた人やその家族、あるいは終戦後父を頼りにして帰国せず、父が面倒を見ていてあげた家族も同行していたが、その中にご主人は餓死なさって、奥さんと子供だけが残っていた家族もいた。
すると、いざ出門となった時に、八路軍の歩哨の上司がやってきて、「遺族は技術者ではない!」として、この親子だけを切り離して出門を許可してくれなかったのだ。
父は八路軍の前に土下座して、「この方たちは私の家族も同然です。どうか、一緒に出させてください・・・!」と懇願した。
すると八路は土下座して地面につけている父の頭を蹴り上げ、「それなら、お前もチャーズに残れ!」と、あおむけに倒れた父を銃で小突いた。骸骨のように瘦せ衰えた父を母が支え、「お父さんはこの子たちの父親でもあるのですから・・・」と懇願した。
私は1946年の市街戦で八路軍の流れ弾が腕に当たり、その痕に、家で面倒を見てあげていた開拓団のお姉さんの結核菌がうつって、全身結核性の骨髄炎に罹り、栄養失調が重なって死ぬ寸前の状態だった。すぐ下の弟は栄養失調で脳炎を起こし、母の背中で首を後ろにカクっと倒したまま意識を失っている。死ぬのにそう時間はかからないだろうという状況にあった。
父は断腸の思いでチャーズをあとにする決意をした。
父の無念の思いを、私は日本帰国後何十年かした日の父の臨終の言葉で知った。
仇を討ってやる!
その思いで書いたのが『チャーズ 出口なき大地』(1984年)だが、何度復刻版を出しても絶版になり、このたび『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』として復刊する。
◆許せない習近平の歴史改ざん
『もうひとつのジェノサイド 長春の惨劇「チャーズ」』の印刷が始まった後になって、私は偶然、2017年12月に中国共産党が管轄する中国人民出版社から『囲困長春』という本が出版されていたことを知った。
急いで購入し読んでみたところ、「共産党軍がチャーズの門を閉ざして難民を出さなかったために、一般庶民が大量に餓死した」という事実は完全に隠され、あくまでも「国民党政府が悪いので多くの餓死者を招いた」としか書いてない。
おまけに共産党軍は「9月11日から、チャーズ内の全ての難民を解放区に自由に出られるようにした」と書いてある。
あれだけ閉め切って絶対に難民を出さなかった共産党軍側の門。
父の一行の出門を許した後もなお、「遺族は技術者ではない」として、断腸の思いを父に迫った共産党軍。
その共産党軍が、9月11日以降は自由に難民を放出したとは何ごとか!
『囲困長春』には、9月11日前も解放軍は一般庶民に害を与えないよう最大の配慮をしたと書いてある。毛沢東があの時、「長春を死城たらしめよ」と言ったのを知らないのではあるまい。
執筆者は、元長春市政府の官僚の一人だったので、当然、中国共産党に都合のいいことだけを書いただろう。餓死者は30万人から65万人とも言われているが、1990年代には中国政府側は12万人と言っていたのを、今度は5万人と見積もっている。
習近平は、この残虐な大量殺人を覆い隠すつもりか。
これを「ジェノサイド」と言わずして、何と言おう。
この史実を、ありのままに書いた私を中国は「犯罪者扱い」しただけでなく、別の物語を書くことによって、史実を塗り替えている。
私はこの事実を残すために生きている。
事実を書き残すことによって犠牲者の鎮魂をすることが、生き残った者の使命だと自分に言い聞かせて、80を過ぎてもなお、日夜全力を尽くしている。
習近平よ、「事実求是」を守れ!
事実を認めるのが、そんなに怖いのか?
中国共産党は、そんなにもろいものなのか?
事実を認めたら崩壊するような党ならば、崩壊すればいい。
バイデン政権の戦争ビジネスは、戦争を経験してきた人間として許せないが、歴史を改ざんして犠牲者の魂まで侮辱する党は、なおさら許せない。
数少ない生存者として、どこまでも追及する所存だ。
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